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BLOG | コンサルタントは地獄の道づれ?

第68回-仕事の振り方、仕込み方

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新製品開発の仕事が多いので、基本構想から設計、市場調査、試作、量産検討などなど、非常に長いステップで仕事をしているが、痛感するのが「ここまでやって次に渡したら愕然と楽になる」という仕事の振り方、仕込み方だ。

例えば外注業者に試作品を委託する場合、ともかく徹底的に部品情報を集めて適切な設計を行い、加工図面だけではなく前処理のポイントなども書いておく。支給部材は100%キッチリ揃えて、加工方法や精度の問題なども事前に委託先と打ち合わせておく。納期も輸送手番が休日なども考慮して、日付レベルで下打合せしておく。

ここまで仕込んだら、もう出来たも同然なのだ。書類は事前に全て送付、支給部材も抜けなく発送。あとは事前に打ち合わせておいた納品日を待つだけだろう(但し信頼出来る加工業者の場合のみ)。その間に他の仕事が出来る。もっともこれは外注業者に限らず、同じ社内で仕事を次工程に渡す時も同じだろう。

設計、加工情報が曖昧なまま、或いは部材の支給が五月雨式で…これでは委託先、次工程にスッパリ渡せない。「ここはどうなっているんですか?」、「この部品はいつ届くんですか?」…いつになってもダラダラとやりとりが続き、他の仕事に移れない。進行の途中で「こんな部品だとは思わなかったんですけれど…」などと言われた日には、設計段階まで戻ってやり直しの必要まである。

実はこの設計・加工情報や部材を100%キッチリ揃えて渡すという作業、なかなかに大変でツライものでもある。しかし私は「中途半端に私でもあとでモメるだけ」と考えて、徹底的に「仕込んで」から渡している。単に心配性なだけかもしれないが…。

第67回-ブーメランと自爆

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相手の首を取ったつもりで発言したが、トンデモない勘違いで自分のミスであった。ネット用語で「ブーメラン」と呼ばれる現象だが(昔から使われてもいたかな?)、これは仕事でも実に良く発生する。民○党と自○党の間だけではない。

例えば資料なり書類なりを受け取ったが、内容が全く違っている。「何だコレは?あの人、全然判ってないじゃないか!」、耐えかねて即座にクレームの電話を…ということはしないようにしている。

あまりにも、驚くほど内容が違う場合、「何だコレは?!」というレベルの場合は、もしかしたら依頼方内容が間違っていたのではないかとまず過去の自分のメールや依頼書を調べるようにしている。50回に1回くらい、2%くらいの確率で、実は自分が勘違いをしており、相手の仕事も受け取ったものも、自分の依頼に対しては100%マッチしているということもある。

そんな時に「何ですか?コレ?依頼内容、判ってるんですか?」なんて電話をした日には大恥だ。

ネット関係のクレームなどでもたまにある。自分が使い方を間違っている、機能を正しく理解していない等々の理由にもかかわらず「うまく動かないンだけど!」とサポートに電話…これも大恥。

行き違いが大きければ大きいほど、まずは自分を疑う。そして作業履歴や書類、メール等を徹底的に調べて、100%自分に非がないことを確認してから、「あのー、頂いた資料ですが…」と連絡する。これで感情的な衝突はかなり避けられる。

これとは別に誰からも頼まれていないのに自滅するような仕事を周囲にバラ撒いて「自爆」するタイプもいる。それについてはこの次に…。

第66回-生涯現役?

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小規模なコンサルタント会社を経営していて最も悩むのは「自分の定年をいくつにするか」だ。

完全な個人コンサル業ではなく、一応、男性の技術経営コンサルが私含め3名、他にグラフィックデザイナーやプログラマーも在籍し数名の所帯ではあるが、さて、創業社長でもあり、メインのコンサルタントでもあり、創業15年間で70社近いクライアントのほとんどでフロントに立ってコンサルティングして来た身となると、「いくつまで、このままやる?」は本当に悩ましい(コンサル内容によって数社は他人に任せ伝票処理のオジサンのみをやったケースもある)。

現在、ほとんどの会社が65歳定年制だろうか。私は独立前に非常に大きくて古い電線メーカーにいたので、そこから漏れ聴こえて来る話が参考になる。早期退職で60歳、あるいは57、58歳で自ら身を退いたという話も聴いた。

私は今年52歳になるので、57、58となるとあと5年くらいしかない。コンサルタント業でそれはさすがに早い気がするし、子供もまだ小さいし、そして「退職金積立」も不十分だ。
実際にリタイアを決める大きな条件はこの2つのように思う。子供と、退職金積立だ。しかしそうなるとあと20年近く…心身ともに健康でいなければなぁ…。

かつては「生涯現役」なる言葉がもてはやされて、65や70を過ぎても元気に働いていることがポジティブに語られたが、いまはどうだろう? 某「暴走老人」氏の影響、相次ぐ高齢政治家の舌禍事件などもあり、老害を撒き散らかさずに、ちょっと小洒落た悠々自適の第二の人生を送ることが善しとされているのではないか? 本当は私も、早々にリタイアかセミリタイアをして、のんびり暮らしたいと思うのだけれど(諸事情からそれは無理)。

退職金積立の満期を70歳以上に設定してしまったという事情もあるが、「定年しても完全に隠居する人は少なく、専門性を活かした何らかの仕事を続けているのではないか?」→「それならば今の仕事を量や時間を抑えた形で高齢まで続けるのが最善策ではないか?」→「そもそもクライアントに『高齢になったので引退します。会社も畳むのであとは自社だけでがんばってくれ』など認められないのではないか?」→「いや、その年齢になったら、もう『あなたに手伝って貰わなければ、ウチの会社は成り立たない!』などというクライアントはいないのではないか」…等々、考え始めると止まらない。最後のひとつはちょっと寂しいけれど。

第65回-残業世代

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なんともヘンなタイトルになったが、いま話題の(?)残業&時間外労働について。

私の世代、昭和40年=1960年代中盤生まれで二浪を経て1990年=平成2年の"バブル入社"組は、実に宜しくない皮膚感覚というか、メンタリティを持っている。うっかり残業をしてしまうのである。

昭和末期から平成初頭のバブル入社組は、タナボタだの苦労知らずだのとあまり良いことを言われないが、実は業種によっては入社から数年間、筆舌に尽くしがたい程の苦労をしている。仕事量が膨大でいまの過労死ラインの数倍に及ぶ超過勤務をしているのである。

例えば私は入社早々、工場で月間275時間の時間外労働を経験している。当時の仕事は光ファイバケーブルと端末加工の生産管理だった。
計算が合わないように思うかもしれないが、当時の勤務パターンは「日曜日の午後に実家から出社してほぼ徹夜で連続勤務。独身寮に戻るのは木曜日の明け方。木曜も定時出社して木金も半徹夜。土曜も休日出勤して土曜の夜に実家に」だった。私だけが異常に仕事が遅かったわけではない。男性課員は全員こんなものだった。バブル景気とは単にディスコで遊んでいるだけではなかったのだ。

1991年の金融&土地バブル崩壊で一旦鎮静化するが、面倒なことに約10年後の1999年頃、今度はITバブルが到来する。ブロードバンドなるものが世に出た頃。当時は丸の内の本社におり、光ファイバ製造工場の設備投資とマーケティング、操業管理を担当していた。
勤務形態は似たようなものだったが、それは天下の丸の内勤務。深夜2、3時まで働いてタクシーで品川区内の自宅マンションに。一緒に残業している後輩社員を誘って途中の西麻布あたりでたらふく飲み食いしていた。この頃になるとフレックス制度も導入されており、4時頃に眠ればギリギリ翌朝10時出社に間に合った。当時は概ね200時間くらいの超過勤務だったと思う。

ちなみに工場時代も本社時代も、残業代は上限40時間で切られていた。残りはサービス残業となり、法的に言えば「賃金未払い」なのだが、当時は「まぁ仕方ない。仕事が片づかないよりはマシ」と考えていた(ちなみに2000年の退社から5年後の2005年10月、労基署の監査が入り間接社員約1700人のサービス残業が露呈。未払い賃金計約14億2000万円を支払う羽目になった。サービス残業時間は合計で68万7000時間。1人あたりの平均未払い額は約80万円強と言われたが、年収以上を2カ月に分けて受け取った研究開発者もいたそうだ)。

さてさて、新卒入社から10年以上、こんな「育ち」をしてしまうと、「本当は帰ってもいいんだよ。定時まで働けば十分立派なサラリーマンなんだよ」とアタマでは理解しても、見えないナニカが働いて残業してしまう。いまやいけないことなのだろうが。特に私は2002年の起業後に「労働量と収入が比例する賃金体系」にいるので、なおさらその傾向が強い。

「長時間労働が正しい」というつもりはもちろんないが、「もう一歩踏み込んで調べたい。まとめたい」と考えると、どうしても8時、9時、10時…となってしまうのだ。

私ももう50代初頭になったが、この感覚、もしかしたら死ぬまで抜けないのだろうか…(そんなジンセイ嫌だなぁ…)。

第64回-金を稼ぐ難易度

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前回のブログで団塊世代が若手だった30、40年前と現在では「仕事の『質と量』、難易度と分量の劇的な変化がある」と書いた。話を団塊世代まで拡げてしまうと、正確な記述のために色々と調査をしなければならないので、まずは我が身、自分の世代と今の比較をしてみよう。

私は60歳代の団塊世代とはひと回り違い、昭和40年生まれ、平成初頭入社という中間世代(?)になるが、いや、もう、質も量も激変している。平成初頭も何も、いまの会社を始めた15年前と比べても大違いだ。

例えばメインでコンサルティングしている光ファイバ製品。創業当時の2000年前後はお隣り韓国からちょっとだけ割安のコモン製品(特に特徴のないアタリマエの標準品)を持ってくれば商売になったし、日本製のちょっと高度なスペックの製品を紹介すればアジアでも欧米でも喜ばれた。

当然の話だが、今はそんなレベルではビジネスは成立しない。MSA(Multi Source Agreement)と呼ばれる規格統一の影響もあり、コモン製品はタイやベトナムで安価に製造され、最も付加価値が付けやすいコネクタ取付に至っては北朝鮮の工業団地製まで登場している。ハイスペック品も全く珍しくはなくなり、今の中心は中国製、台湾製。韓国製が苦戦し、日本製は「高いので意味がない」と言われる状況だ。そして当社は「そんな時代に日本メーカーとして何を作るべきか」というかなり難しいコンサルティングが生業となっている。

広告やWebについても同様。昔は海外の専門誌にパイプがあり、当社経由で広告が出稿出来る、英語で、外人が注目するコピーやビジュアルで原稿が作れるということだけでそこそこの商売が成立したが、いまや製品自体が上記のような状況なので海外媒体に対し熱心に宣伝費を投資したいという奇特な人は極めて少ない。

最も違いが大きいのはWebだろう。2000年前後は「ホームページビルダー」のような一般家庭でお父さんが使うようなソフトでも、ちょっと見栄えの良いページが組めたらなんと仕事が来てしまっていた。ウソのような話だが本当だ。Photoshopを使ったレタッチについてはさらにすさまじく、「88x31ピクセルの定型gifアニメバナーを1個作って1万円」などという夢のような時代もあったのだ。

ホームページビルダーはその後、DREAMWEAVERに変わり、いまやCSSコーディングが中心。デザインもフラットになり、「立体ボタン加工」などもはやレトロの域だ(マーキーやFlashは論外。このモバイル端末時代に…)。

いくつかの例を挙げたが、結論はひとこと「金を稼ぐのが難しくなった」ということだ。これに尽きる。昔は結構な儲けになっていたコト、モノが、いまは全く商売にならない。ネットやモバイルなどインフラ面から見ると成熟、横這いのように見えるこの10年、15年だが、いやいやとんでもない。その本質は激変し、ウカウカしていると「全く商売にならない会社」になってしまう。ある意味怖い時代と言える。

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