Home > 商品開発

商品開発 Archive

第80回-2000年代の変化

blueprintboat_550.jpg


2003年の3月に恵比寿に事務所を開いた。恵比寿駅東口から2、3分。ホームからも見える一等地の8階角部屋だった。

自分にとって初めての事務所であること、場所的にもオシャレにキメるべきであること、かなりの広さで数名で仕事をすることなどから、家具や事務機にはかなりの出費をした。

その後、ビジネススタイルがかなり変わってきたので、11年後の2014年はじめにそこを閉め五反田に移った。五反田の事務所は細長いワンルーム。丁度、文系の大学教授の研究室のような作り&雰囲気である。使い勝手は良いのだが、広さが恵比寿の半分以下になってしまったので、家具も事務機も一度廃棄してコンパクトなものを新たに買い直した。

狭くはあるが部屋と完全に同じ高さでベランダに平行に首都高2号が走っており、その独特の眺めを非常に気に入っている。

さて、この11年を経た事務所の移転で「変わったな」と思ったのが事務機と電化製品である。

まず複合機。なにしろ最初の事務所ということもあり、恵比寿ではかなりがんばってしまい、定価80万円のシャープのコピーFAX兼用機(モノクロ)を中古で20万円で買い上げてしまった。なんとなく「ちゃんとした事務所にはこれくらいのものが必要」という気がしていたのだ。ホンキを見せる、という意味もあったのかもしれない。巨大なので移転時に廃棄した。

しかしもはや「紙のコピー」を取ることも少なくなり、FAXでやりとりすることも本当に少なくなり、とはいえ事務所にはFAX番号が必要であろうとキャノンのインクジェットの卓上複合機をソフマップで買った。なんと8900円だった。
ところがこれが素晴らしく高機能だった。自動原稿送り機能付きでFAX、コピーがカラーで可能。スキャナも内蔵し鮮明なPDFが簡単に生成出来る。デザインも良く実に便利である。

恵比寿時代は個人コンサルの仲間に「家庭用の卓上機で仕事なんかしちゃダメだ」と言い続けて来たが、いや、これで十分である(但し他にA3両面印刷の可能なカラーレーザプリンタもある)。

そして冷蔵庫と電子レンジ。恵比寿時代はまだ30代後半の独身でもあり、場所柄近所で飲んで事務所で寝たり、土日も仕事半分、遊び半分で来ていたのでそこそこの大きさの冷蔵庫とそこそこの価格のオーブンレンジを無印良品で揃えた。
それも置く場所がないので移転時に廃棄し、五反田では新たに買い直したが、今度はどちらもハイアールである。冷蔵庫はホテルにあるような超小型のもの。レンジはレンジのみの単機能のものである。
ところがこれが安くてデザインも良く故障もない。確かふたつを足して2万円程度ではなかったか。

こうして事務機や電化製品を見ているだけでも、2000年の幕開けから2、3年後と2010年代ではずいぶんと状況が変わっている、プレイヤーも変われば機能もプライシングも変わり、私自身の意識も変わっていることに気づく。

コンパクトで多機能で安価で便利。2000年代は急激にその方向にむかっているのだ。

.

第71回-マネージャーの卓越

beatles1966_w550.jpg

前回は吉野屋の元社長、安部修仁氏のことを書いた。その続きのようになるが、再びマネージャー論である。

仕事で伝説的プロモーター永島達司氏のことを調べた。永島氏は現・キョードー東京の創設者で「ビートルズを呼んだ男」として知られる。音楽的な偉業は私が並行して書いている別のブログに譲るが、ここでは卓越すたマネージャーとしての才能について2つほど記したい。

まずはなぜ氏が伝説的プロモーターになり得たか。氏の父親である永島忠雄は東大法科卒業後に三菱合資入社、三菱銀行取締役を経て三菱海運の社長を務めた。そのため達司氏は2歳から15歳までをニューヨークとロンドンで過ごす。そんな氏の英語は完璧で、きわめて上品な発音であったそうだ。早大在学中にジョンソン基地・将校クラブの支配人を務め、「外タレ」を招聘するプロモーター、当時の言葉でいう「呼び屋」の道に。

昭和30年前後の混沌とした時代のことではあったが、「英語が出来て音楽に詳しい」という自らの能力を、見事なまでにビジネスに繋げたその行動力と先見性は素晴らしいと思う。
たったいま、「昭和30年前後の混沌とした時代のこと」と書いたが、実はこうした能力の活かし方は今でも考えられるべきではないかと思う。スタートアップベンチャーが改めて注目され、今までとは明らかに異なるビジネス・モデルが議論されている今こそ!という気がする。
自分が活躍する舞台を、自分の周囲半径XXm程度に自ら狭めて、限定していないか? 本来はその逆なのだ。自分には**の知識がある、わずかながら**語が出来る、それならばその2つを結びつけて、最大限にはじけると何が出来るか? そう考えるべきではないかと、五十歳を過ぎて改めて考えている。

どうにか実用になる英語力と光ファイバ通信に関する知識-この2つを結びつけて、東京を拠点に世界に飛び出せないだろうか…そう考えて設立した自分の会社だが、15周年を過ぎてどうもシュリンク傾向にある。「本当はこうではなかったような…」と永島達司氏の活躍を見て考えてしまった。まだまだ何回か、勝負出来るのではないか…。

第44回-残存者利益をどう見るか?

ion.jpg
先日ツイッターで流れた写真で興味深いものがあった。「近所のお店が迷走している」というツイートで、写真には元は古本屋、それが写真のプリントショップになり、傍らでタバコ屋も兼ねているなんとも摩訶不思議な光景が映っていた。いや、たい焼きか何か、飲食店も兼ねていたか…。

それに対するリツイートの中で「電子書籍の時代に古本、デジカメの時代にプリントショップ、喫煙者激減の時代にタバコ屋。先のない商売を次々と見つけて来るそのセンスが不思議」というものがあった。まさにその通りだ。確かに、よくぞまぁ…。

この話をある先輩ビジネスマンの方にしたところ、違った見解が返って来た。「そのお店は残存者利益を狙っているのかもしれませんよ」。

これもまた確かに。古書店もプリントショップもタバコ屋も、昔はどこの商店街にも当たり前のようにあったが、今はすっかり少なくなってしまい、探すのが大変かもしれない。

果たしてそのお店がニッチビジネスを狙って残存者利益戦略を巧妙に仕掛けているのか、たまたまそのような寄せ集めになったのかはわからないが(後者の可能性が高いが)、ここまで時代の変化、製品やアプリケーションの交代-昔流行った言葉でいうとパラダイム・シフトというヤツか?-が激しいと、残存者利益というか、逆張りというか、あえて旧世代のビジネス、製品に出てみるのも悪くない。

その先輩ビジネスマンの方も「大企業の基幹システムは『大型汎用機で数十年前に組んだCOBOLの拡張版』という例が多く、未だにCOBOLエンジニアは必要かつ重要。でも『アタマの回転の早い若くて他言語もわかるCOBOLエンジニア』が少なくて…」と言っていた。確かに「若くてピチピチしたCOBOLエンジニア」というのは今や不思議な響きに聴こえてしまう。しかしまぁ、何十年経とうとも、必要なものは必要なのだ。

さぁ、残存者利益にあたるビジネスには何があるだろう? 渋谷に開店したHMVのアナログLP専門店もその一種かもしれないし、復活したレコード針のナガオカ・トレーディングもそうかもしれない。アイオン・オーディオ(Ion Audio)社のArchive LP([オールインワン・ターンテーブル。写真の製品)などまさにそのひとつだ。

しかししかし、この話、あまりやりすぎると懐かし物特集のテレビ番組のようになってっしまうのが玉にキズなのだが(苦笑)。

第39回-ポパイと業界誌

santa-monica.jpg

いつになく更新が滞ってしまった。実は11年間使用してきた恵比寿駅裏の事務所から、恵比寿ガーデンプレイス内のビジネスセンターに移転していたためである。

11年分の荷物はさすがに膨大! 整理作業(といってもその大半は捨ててしまうのだが)に数週間かかった。しかしここ11年分、2000年代初頭から2010年代中盤までの書類や資料を毎日見ていると、色々と思うところもある。「ブログの更新が出来ないな」と思った反面、「引っ越しが終わったら、ブログ数回分のネタはあるぞ!」とも考えていた。まずはその1回目である。

さて、今回の整理作業で惜しげもなく、ごっそりと捨ててしまったものに古雑誌がある。あまりに量が多すぎて、入居していたビルの管理人から何か言われるのではないかと思った程だ。国内誌、海外誌、合わせて千部以上あっただろうか?(月刊誌12冊/年×11年×10誌でも1320部にもなる)。

分野的には2つの専門分野、光工学・光ファイバ通信関係と音楽・映画関係の両方に跨がる。また情報収集のために買った経済誌や情報誌もあった。

ところがここでハタと気付いた。3年以上前の専門誌にほとんど情報価値がないのだ。最初は「とりあえず5年以内のものは保存しておこう」と考えていた。そのうちに「量が多すぎる。3年までにしよう」となり、結局最後には「去年のものまでで良い」となってしまった。音楽・映画関係は発行年に関係なく特集の内容で判断し、「二度と開くことはないだろう」と思われるものは1年以内の発行でも廃棄した。

山積みにした古雑誌に埋もれながら、そもそも海外の、特に米国の光工学・光ファイバ通信専門誌から情報を得ることが少なくなってしまったことを痛感した。会社を設立した2001、2年頃は、まさに「米国の技術・市場動向を知る者が、日本の技術開発・市場戦略をリードする」という観があった。米国のいまが日本の1、2年後。まさにタイムマシーンを覗く感じだった。

しかしなぜか米国の、特に光ファイバ通信市場は失速。加入者に近い光ファイバ通信網(メトロ/アクセス網)に関しては、日本の技術が世界を圧倒することになった。米国での研究会報告を読んで「古いな」と感じ始めたのは、2004、5年頃だっただろうか。

専門的な技術論になるので詳細は省略するが、マーケティングの視点から見れば、草創期、揺籃期における米国のリーダーシップは強力なものがある(あった)。しかしひとたび汎用化、コモディティ化され、更に寡占化にまで至ると、極めて低廉に、高い普及率をもって市場を成熟させるのは日本の方が見事である。

もちろん一部先端技術トレンド(例えばWDM-PONやスーパーチャネル、モード多重伝送など)については、米国・欧州の動向をウォッチすべきものもある。しかしそれが即効性があり大きな売上に繋がる、1、2年後のビジネスに直結しているかというと疑問である。

そう考えると、2002年の会社設立、2003年の事務所拡大というのは、光ファイバ通信市場の「最も面白い時代」に合致していたのだな…と思えて来る。

光ファイバ通信専門誌に紛れて、密かにコレクションしていた'70年代後半の雑誌「ポパイ」(私は勝手にヴィンテージ・ポパイと呼んでいる)も出てきた。「アメリカ西海岸の大学生にライフスタイルを学ぶ-いま西海岸では」そんな特集が目白押しだ(この常套句も現在の大学生には響かないだろう)。果たして2000年代初頭の光ファイバ通信業界は、'70年代後半の若者文化のアナロジーと言えるのか? その結論はまだ出ていない。

第21回-ひとり会議のススメ

20120507_wb.jpg


電線工場勤務時代から20年以上続いている習慣があります。「ひとり会議」です。

工場時代は工程管理システムの仕様案のまとめや、社内外プレゼンテーションのラフ作りのため、本社勤務時代はそれこそ全ての業務のため、独立・起業後は市場調査や技術コンサルタント案件のプロジェクト立案のため、ひとりで会議室に籠もり、ブツブツ言いながらホワイトボードにアタマの中を書きなぐっています。

スマホやタブレットが普及し、電子黒板などもある今は、もっとスマートな方法があるのかもしれませんが、今日現在でもやり方は変わらず。グシャグシャの文字で書いて、プリントアウトをしています。

ポイント…というほどではありませんが、二点ほど意識していることがあります。

ひとつは「必ずプリントアウトすること」。安いボードには印刷機能が付いていませんが、ボードに書いて記録に残さず、なんとなく出来た、わかった、解決したような気になってはイケマセン。
どんなにキタナイ文字でも、後日読解に苦労するようなグシャグシャっぷりでも、「成果物」を残すことが重要かと。出張先などでプリントが出来ない場合は、一言断ってから携帯で写真を撮らせてもらっています。

もうひとつは「アウトプットのイメージをマンガに書くこと」。提案書、調査報告書、説明資料等々、「A4ヨコでパワポで、まず一枚目はこのへんに見出し、左にダァーっと文章が来て、右に写真と円グラフが2点。二枚目は…」などと、内容の細部は無視して、サムネイルというか台割を描いています。この習慣も工場時代、1990年代の初頭から変わりません。

パソコンに向かって唸りながら…という方法もありますが、なんでしょうね?場所が変わるのが良いのか、あるいはボードの前で大きく手を動かすのがいのか、ホワイトボードを相手にした「ひとり会議」が、私の場合は最も効率的です。
このボードのプリントが出来てしまえば、その作業の半分か1/3は出来たも同然。あとはパソコンに向かってのチカラ仕事と清書…と考えています。

写真は当社のホワイトボード(内田洋行の「書撮りくんmini」)。起業直前に勤めていた精密機械メーカーの会議室にあったのと同じもので、非常にコンパクトながらリーダーが左右に移動しながらプリントされる便利さに惚れて、辞めた会社に電話して型番を聞き出して買ってしまった(笑)。

Home > 商品開発

Recent Comments
Recent Trackback
Search
Meta
Links
Feeds

Page Top