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品質保証 Archive

第57回-バグの時代

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「デバグレス文化」とでも呼べば良いのか、システムが大型汎用機(古い!)やワークステーション、PCベース、ブラウザベースのWebシステムからスマホのアプリに変化したタイミングで、「デバッグ」の概念が変わってしまったような印象がある。あくまで個人的に、だが…。

社会人になってから仕事として担当したシステムは上記の通り、大型汎用機を使った手配系・勘定系のシステム、ワークステーションによるOracleのRDBシステム、そしてWebベースの業務系イントラネット・システム、あ、自分で組んだVBなんてのもあった。いずれも1990年代から2000年初頭にかけてのことだ。

その後、独立してFOMA携帯の課金制着信メロディシステムなどにも(これについてはシステム面ではなくコンテンツ面で)携わった。これは2001~2005年頃。しかし、この頃まではシステム構築作業とその後の「検証」についてはかつての大型汎用機時代と大差なかったように思う。もっともやっているのが同じ人間だったからか。

当時は「デバッグの時間をたっぷり取れ」、「異状系は正常系の3倍かかる」、「バグを誘発する操作・処理パターンを熟考し、事前に対策を打て」、この3つを耳にタコが出来るほど聞かされた。
特に私は業務・画面設計とUI、導入指導が専門だったので三番目の「バグを誘発する操作・処理パターン」が得意(?)だった。「SEさん、PGさん、絶対にこのパターンは考慮していないだろうな。でもこの処理、しょっちゅう発生するんだよな」というもので、一発でシステムをフリーズさせて、「ハイ!がんばって下さい!」とお願いしていた。
何しろそこで手を抜くと、100人規模の工場が停止したり、日本中の営業所で見積が出来なくなったりする。SEさん、PGさんには申し訳ないが、両者合意の上でのかなりのスパルタであった。

そんな世代からすると、現在のAndroidアプリのバグのままで数カ月放置され、ユーザーレビューが☆1つで「全く使えません」ばかりという状況は理解に窮する。しかも有料アプリでもそんなものがあったりする。消費者庁的に問題ないのか?!

要するに「完成度よりも速さ」なのだろう。確かに自己責任で使用するβ版だと思えば納得も行くし、β版的な文化は何十年も前からあった。
アイディアを一秒でも早く具体化し公開、問題があったら「動かしながら直して行く。バージョンアップで対応」という方法論も確かにあるはある。しかしそれが使える場所、使えない場所があることも事実。もせめてAndroidアプリくらいに留めておいて欲しいと思うが…。

第54回-にくい貴方



私レベルの英語力では和訳、英訳の仕事はとても務まらないが、職業翻訳者が訳した専門文書の査読はちょくちょく行っている。専門分野としては光工学、電線、ジャズ、ロック、ブラジル音楽、映画等々。大量の英文を日本語にして行く翻訳者のパワーは凄いと思うが、「餅は餅屋」というかなんというか、専門知識の欠落から来るとんでもない誤訳も少なくはなく、そこを補うのが私のような人間の仕事になる。そもそもそんな「査読」に興味を持ったのはもう30年くらい前のことだ。

大学生の頃だったか、美容室で待ち時間に呼んだ月刊プレイボーイに小説家スティーヴン・キングが作家仲間と結成したロックバンド「ロック・ボトム・リメインダーズ」に関するコラムが載っていた。筆者はもちろんキング本人で内容はツアーに関する悲喜こもごも。なんとキングは執筆の合間にツアー・バスをチャーターして、本格的なライヴ・ツアーまで行っていたのだ。

これが彼の小説よりも面白いのではないかというくらいの名文で、物凄い勢いで、夢中になって読んだ…が、あるところでパタリと止まった。「そのブーツは歩くために出来ている」という曲名(?)が出てきたからだ。

このブログの読者の方ならば、フムフムと気がつくだろう。「このブーツは歩くために出来ている」の原題は"These Boots Are Made For Walkin'"、ナンシー・シナトラの名曲「にくい貴方」のことだ。

これを読んだ時に、「翻訳というのはなんと難しいものなんだ?!」と痛感、というか気づいた。確かに"These Boots Are Made For Walkin'"の直訳は「このブーツは歩くために出来ている」だが、それでは前後の文章の面白みも全く伝わらないし、そもそも誰のなんという曲だか、原題を知る人以外には伝わらない。天下のプレイボーイ日本語版でも、こんな不十分な和訳をするのかと意外にも感じた。

当時私は大学の帰りに千駄ヶ谷駅前にあった津田英語会(現・津田塾大学オープンスクール)に通っており、翻訳は無理でもなんらかの形で英語に関係した仕事をしたいと思っていた。結局それは電線会社勤務と音楽・映画ライターという本業を経て、その分野の「査読者」という不思議な仕事で実現したが、なんというのかな、一応英語がわかる人間の、専門分野に関する手直しとちょっと気の利いた言い回しで、英文和訳は見違えるように活きて来る。そんな風に考えている。

もっともこれは、翻訳云々に限らない、異文化コユニケーションの根幹に関わることだが…。

第25回-「プロユース」で行きます

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ノートパソコンを巨大な液晶モニタに接続するため、USB接続の外付けディスプレイアダプタ(要するに外付けのグラフィックボード)というのを買ってみた。ネットのクチコミでは賛否両論だったが、「こんなに快適で良いの?」というくらいにトラブルなく動作し…ところが購入から2週間後のWindows Update以降、どうも動作が怪しくなって来た。

なにしろ定価で1万円以下、実売5千円強の小型デバイス。品質保証というか安定性については限界があるのかなぁ。しかしもう少しちゃんとモノをつくっても…という違和感も。

そこで自分のことを考えてみると…私はこの製品のような「一般消費財」にかかわる仕事をほとんどしていないのだった。違和感の原因はそこにあるのかも。

電線メーカーで光ファイバケーブルの仕事を10数年、それから光工学分野の技術・経営コンサルタントに転じて10年だが、一貫して担当する製品は「プロユース」。しかもインフラに近い製品が多いので、標準耐用年数は概ね20年前後。使用環境も過酷なのでロバストなことこの上ない。

しかしこの2つを比較して、「善し悪し」という基準で語るのは無理があるのだろう。
まず価格が全く違う。プロユースの製品は「値段は度外視しても頑丈なものを」という習慣が(まだ一部に)残っており、部品選択から製造・検査方法まで、コストのかけかたが全く異なる。電線が簡単に切れたり、電話局のルータがしょっちゅう故障して通話やネットが不通になっては困るからだ(もっとも最近はコスト削減要求がスゴいが…)。

対して一般消費財は「ユニークな製品を可能な限り安く」なので、本当にギリギリのところで勝負している。製品のライフサイクルも異なるので、同じ「電子機器」と言ってもコンセプトや製品戦略が大きく異なる。

私は古い人間で、親類も造船や建設といったオールド・エコノミーの業界人が多い。光工学という一見すると新しそうな分野に携わりながらも、モノづくりに関しては、「値段は度外視しても頑丈なものを」、「標準耐用年数は概ね20年前後」と考えており、そのような仕事が出来て嬉しいと思っている。

こんな感覚も一般消費財、特に民生用のパソコン周辺機器関係者などからみると「別な人種」で、彼らは新しいデバイスを、可能な限り安価に、どんどん世代交代させながら、次から次に開発、提供する、つまり時代の先端を「駆け抜ける」ことに生きがいを感じているのだろうな。ううむ、なぜか私はそちらには行かなかったな…。

こんな業界、業種の選択はまさに「人種」という気がする。私はあくまで「プロユース」の方で行きます(一般消費財のビジネスモデルも理解しながらも)。

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