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第70回-マネージャーの説得力

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吉野屋の元社長、安部修仁氏は「伝説の男」とまで呼ばれるキャリアの持ち主だ。福岡の県立工業高校を卒業後、R&Bバンドでプロを目指し音楽活動と並行して吉野屋のバイトに。1971年、当時の店舗はまだわずか5店だったそうだ。

当時の社長の目にとまり正社員に。都内店の店長や九州本部長を経て取締役、社長へ…というのが一般的な紹介文だろう。

しかし私は安部氏の忘れられない姿がある。BSE問題で牛丼業界が荒れに荒れた2000年代初頭、2005年2月の1日限定の牛丼復活日だったか、2006年9月の牛丼販売再開時だったか、フラッグシップ店である有楽町店で安部社長自ら盛り付けを行う姿がテレビニュースで報道されたのだ。

いや、もう、これが、カッコイイ! シビれた!

社長就任から十余年、50代半ばに差しかかった一部上場企業の社長が、"あの"帽子をかぶり自ら盛り付け。しかもこれがなんとも軽やかで上手いのだ。
当時の私は自らの会社を起業してわずか3、4年。「社長」のスタイルに迷っている時期でもあった。そこで目にした安部社長の姿に「これだッ!」と思った。「現場作業から全てを経験しここまで来たが、やろうと思えば経験した仕事を誰よりも上手く出来る。社員に身をもって示すことが出来る。しかし今は社長なのでマネージメントに専念している。しかししかし、社員全員の仕事は経験しているし、今でも出来る」。こんな素晴らしい、いや、カッコイイ社長がいたのかと。

実はこの有楽町店、1980年に倒産した時に営業部長から店長に降格され配属された曰く付きの店舗でもあったそうだ。単なる「昔取った杵柄」では済まない、奥深い思いもあったのかもしれない。

当社は来月で創業16年、20周年に向けてのカウントダウンに入っているが、このマネージャーが社員に示すべき態度については、まだまだ思い悩むばかりだ…。

第69回-資格と時間、そして気力

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ずいぶん長いあいだ、このコンサルタントブログが停滞してしまった。実は前回8月10日更新直後に願書を提出し、第一級陸上特殊無線技士(一陸特)という資格の受験勉強をしていた。国家試験は10月26日。その経緯は別に運営している無線関係のブログに記した。ギリギリの得点ながらどうにか無事に一発合格した。

さて、ここで書きたいのは勤め人が資格試験を受ける難しさだ。今回の一陸特については、どうしても取りたいという強力なモチベーションがあり、平日の就業後に会社で毎日1、2時間、土日は近所の図書館に行き各4、5時間、週末は合計8~10時間勉強していた。

不思議なもので何か資格を取ると、「この勢いでもうひとつ…」という欲が出てくる、が、この勉強時間が取れない! 出題範囲の何割かがオーバーラップし、さらに現在の本業である有線通信に最も関係の深い、工事担任者という資格のテキストと問題集を買ってきたが、モチベーションというか気力というか、「終業後の1時間」が出来ない。

問題をパラパラめくってみると、一陸特の試験で出てきた問題と同じだったり、仕事を通じて既に知っている内容だったりで、「時間をかけて抜け目なく勉強すれば取れるな」という感触はある。しかし、気力? 時間? その両方か、どちらかがナイ。

本当にモッタイナイのだ。全く理解出来なくて「こりゃダメだ」ならばともかく、なんとなくわかる問題、一度勉強すれば出来そうな問題、既に知っていて間違いなく解ける問題…まさに次の資格にうってつけではないか…。

しかし考えてみると、勤め人受ける資格試験なんてそんなものではないかという気がする。実は日々の仕事とオトナの知識や理解力、応用力で合格に値する潜在的な能力など、しっかり持っているのだ。問題はその先。ここで気持ちをグッと引き締めて、仕事をテキパキ片づけて、終業誤後にサクサクっと勉強が出来る人が次々と資格を取って行くのだな。

一陸特はガンバッたんだけどねぇ。同じくらい勉強すれば次もその次も取れそうなのだが…。

第67回-ブーメランと自爆

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相手の首を取ったつもりで発言したが、トンデモない勘違いで自分のミスであった。ネット用語で「ブーメラン」と呼ばれる現象だが(昔から使われてもいたかな?)、これは仕事でも実に良く発生する。民○党と自○党の間だけではない。

例えば資料なり書類なりを受け取ったが、内容が全く違っている。「何だコレは?あの人、全然判ってないじゃないか!」、耐えかねて即座にクレームの電話を…ということはしないようにしている。

あまりにも、驚くほど内容が違う場合、「何だコレは?!」というレベルの場合は、もしかしたら依頼方内容が間違っていたのではないかとまず過去の自分のメールや依頼書を調べるようにしている。50回に1回くらい、2%くらいの確率で、実は自分が勘違いをしており、相手の仕事も受け取ったものも、自分の依頼に対しては100%マッチしているということもある。

そんな時に「何ですか?コレ?依頼内容、判ってるんですか?」なんて電話をした日には大恥だ。

ネット関係のクレームなどでもたまにある。自分が使い方を間違っている、機能を正しく理解していない等々の理由にもかかわらず「うまく動かないンだけど!」とサポートに電話…これも大恥。

行き違いが大きければ大きいほど、まずは自分を疑う。そして作業履歴や書類、メール等を徹底的に調べて、100%自分に非がないことを確認してから、「あのー、頂いた資料ですが…」と連絡する。これで感情的な衝突はかなり避けられる。

これとは別に誰からも頼まれていないのに自滅するような仕事を周囲にバラ撒いて「自爆」するタイプもいる。それについてはこの次に…。

第66回-生涯現役?

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小規模なコンサルタント会社を経営していて最も悩むのは「自分の定年をいくつにするか」だ。

完全な個人コンサル業ではなく、一応、男性の技術経営コンサルが私含め3名、他にグラフィックデザイナーやプログラマーも在籍し数名の所帯ではあるが、さて、創業社長でもあり、メインのコンサルタントでもあり、創業15年間で70社近いクライアントのほとんどでフロントに立ってコンサルティングして来た身となると、「いくつまで、このままやる?」は本当に悩ましい(コンサル内容によって数社は他人に任せ伝票処理のオジサンのみをやったケースもある)。

現在、ほとんどの会社が65歳定年制だろうか。私は独立前に非常に大きくて古い電線メーカーにいたので、そこから漏れ聴こえて来る話が参考になる。早期退職で60歳、あるいは57、58歳で自ら身を退いたという話も聴いた。

私は今年52歳になるので、57、58となるとあと5年くらいしかない。コンサルタント業でそれはさすがに早い気がするし、子供もまだ小さいし、そして「退職金積立」も不十分だ。
実際にリタイアを決める大きな条件はこの2つのように思う。子供と、退職金積立だ。しかしそうなるとあと20年近く…心身ともに健康でいなければなぁ…。

かつては「生涯現役」なる言葉がもてはやされて、65や70を過ぎても元気に働いていることがポジティブに語られたが、いまはどうだろう? 某「暴走老人」氏の影響、相次ぐ高齢政治家の舌禍事件などもあり、老害を撒き散らかさずに、ちょっと小洒落た悠々自適の第二の人生を送ることが善しとされているのではないか? 本当は私も、早々にリタイアかセミリタイアをして、のんびり暮らしたいと思うのだけれど(諸事情からそれは無理)。

退職金積立の満期を70歳以上に設定してしまったという事情もあるが、「定年しても完全に隠居する人は少なく、専門性を活かした何らかの仕事を続けているのではないか?」→「それならば今の仕事を量や時間を抑えた形で高齢まで続けるのが最善策ではないか?」→「そもそもクライアントに『高齢になったので引退します。会社も畳むのであとは自社だけでがんばってくれ』など認められないのではないか?」→「いや、その年齢になったら、もう『あなたに手伝って貰わなければ、ウチの会社は成り立たない!』などというクライアントはいないのではないか」…等々、考え始めると止まらない。最後のひとつはちょっと寂しいけれど。

第65回-残業世代

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なんともヘンなタイトルになったが、いま話題の(?)残業&時間外労働について。

私の世代、昭和40年=1960年代中盤生まれで二浪を経て1990年=平成2年の"バブル入社"組は、実に宜しくない皮膚感覚というか、メンタリティを持っている。うっかり残業をしてしまうのである。

昭和末期から平成初頭のバブル入社組は、タナボタだの苦労知らずだのとあまり良いことを言われないが、実は業種によっては入社から数年間、筆舌に尽くしがたい程の苦労をしている。仕事量が膨大でいまの過労死ラインの数倍に及ぶ超過勤務をしているのである。

例えば私は入社早々、工場で月間275時間の時間外労働を経験している。当時の仕事は光ファイバケーブルと端末加工の生産管理だった。
計算が合わないように思うかもしれないが、当時の勤務パターンは「日曜日の午後に実家から出社してほぼ徹夜で連続勤務。独身寮に戻るのは木曜日の明け方。木曜も定時出社して木金も半徹夜。土曜も休日出勤して土曜の夜に実家に」だった。私だけが異常に仕事が遅かったわけではない。男性課員は全員こんなものだった。バブル景気とは単にディスコで遊んでいるだけではなかったのだ。

1991年の金融&土地バブル崩壊で一旦鎮静化するが、面倒なことに約10年後の1999年頃、今度はITバブルが到来する。ブロードバンドなるものが世に出た頃。当時は丸の内の本社におり、光ファイバ製造工場の設備投資とマーケティング、操業管理を担当していた。
勤務形態は似たようなものだったが、それは天下の丸の内勤務。深夜2、3時まで働いてタクシーで品川区内の自宅マンションに。一緒に残業している後輩社員を誘って途中の西麻布あたりでたらふく飲み食いしていた。この頃になるとフレックス制度も導入されており、4時頃に眠ればギリギリ翌朝10時出社に間に合った。当時は概ね200時間くらいの超過勤務だったと思う。

ちなみに工場時代も本社時代も、残業代は上限40時間で切られていた。残りはサービス残業となり、法的に言えば「賃金未払い」なのだが、当時は「まぁ仕方ない。仕事が片づかないよりはマシ」と考えていた(ちなみに2000年の退社から5年後の2005年10月、労基署の監査が入り間接社員約1700人のサービス残業が露呈。未払い賃金計約14億2000万円を支払う羽目になった。サービス残業時間は合計で68万7000時間。1人あたりの平均未払い額は約80万円強と言われたが、年収以上を2カ月に分けて受け取った研究開発者もいたそうだ)。

さてさて、新卒入社から10年以上、こんな「育ち」をしてしまうと、「本当は帰ってもいいんだよ。定時まで働けば十分立派なサラリーマンなんだよ」とアタマでは理解しても、見えないナニカが働いて残業してしまう。いまやいけないことなのだろうが。特に私は2002年の起業後に「労働量と収入が比例する賃金体系」にいるので、なおさらその傾向が強い。

「長時間労働が正しい」というつもりはもちろんないが、「もう一歩踏み込んで調べたい。まとめたい」と考えると、どうしても8時、9時、10時…となってしまうのだ。

私ももう50代初頭になったが、この感覚、もしかしたら死ぬまで抜けないのだろうか…(そんなジンセイ嫌だなぁ…)。

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