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2010年05月20日

第5回-私がものづくりに還って来た理由




3月、4月と、技術系ベンチャーに関する少々辛辣、深刻な話が続き、そして恥ずかしながら自著の紹介などをさせていただいたので、ここでひと息。ホワ~ンとするような、ものづくりの話を書いてみよう。

プロフィルーに記した通り、私は大学卒業後、新卒で古河電工に入り工場勤務、本社勤務の両方を経験。思うところあって全く異業種であるリクルートに転職し、さらに思うところあって古河電工に近い業種である駿河精機という精密機器メーカーの光工学製品部門に移った。
つまり「製造業→情報産業→製造業」という、まぁ、いわば「出戻り」のような転職を経験している。リクルートに入って驚いたのは給料が高いこと(苦笑)。若者にも人気の高い、というかウケの良い会社で、「高給を捨てて、なぜ製造業に戻ったのか?」と聞かれることも多いのだが、そこには色々な事情、いや、心情がある。これは今まであまり口にして来なかったことなのだが…。

ひとつのきっかけは、当時リクルート本社で座っていたデスクのとなりが、光通信業界担当の転職情報営業部で、それほど高くはないパーテーションを隔てて、古巣の話題が聴こえて来たことだ。
古河からリクルートに移ったのは、IT&光通信バブル全盛の2000年。光通信業界はヘッドハントや転職が盛んで、担当営業部も色めきだっていた。しかしそこは門外漢ミーツ新産業。業界経験者が良く聴くと、トンチンカンなことも言っている。

「EDFとかいう光ファイバーは、1mで何百円もするんだって。そんなものを、世界中に張りめぐらしたら、何兆円、何百兆円にもなるよね!」
「すごーい!光通信業界ってすごーい!」

技術的に言うと、これは完全な勘違いなのである。その時の私の肩書は「メディアプロデュース部所属ウェブ・プロデューサー」で、いわゆる制作サイドの人間だったため、(クライアント訪問時に、営業と区別する意味もあって?!)古河時代のスーツから一転、私服にサングラスまでかけて仕事をしていた。しかし、上記の発言にはじっとしていられない。思わず手を止め、パーテーションの上から顔を出して…

「EDFはエルビウムという希土類を添加した特殊ファイバで、確かに高額だけど、電線にして敷設することはありませんよ。電線にするファイバと、部品として使うファイバがあるんです。用途は光増幅器くらいで、1台あたり数mから10数mが上限じゃないかな」

制作プロデューサーだと思っていたとなりの部署の人が、突然マニヤックなことを言い出したので、驚く営業さんご一同(笑)。そんなやりとりが数回続くうちに、結局、前職(部品系光ファイバのマーケティングとその製造工場建設)を明かし、光通信業界についてのレクチャーをすることになったりしたのだが、今回はそこは省略。
こんなことがきっかけになって、「なるほど、新卒で10年間働いた光通信の知識というのは、染みついているのだなぁ」と痛感し、「それを無駄にしても良いのだろうか?」と転職時とは全く逆の発想が浮かび始めていた。なにしろ「社会人になる」が、イコール「メーカー社員になる」だったわけで。じゃぁ、なんで転職したんだよ、おい!(苦笑)。

そしてもうひとつのきっかけ。実はこれが決定的だったのだが…。

ある時に、「週末の蘇我駅」の情景を思い出したのだ。私が勤めていた工場は内房線の八幡宿(市原市)という駅が最寄りだが、平日は市原市内の独身寮に帰るので、電車は利用しない。しかし金曜日の夕方か夜に、当時実家のあった神奈川県の逗子市に帰る場合は、内房線を使って蘇我経由で千葉駅へ、そして総武・横須賀線で逗子に向かうことになる。その時の、蘇我や千葉の雰囲気たるや!
京葉工業地帯の工場に勤めるメーカー社員が、一斉に帰宅を急ぐ感じ。電線、電気、鉄鋼、化学から造船まで。一週間の勤めを終えて、埋立地からやっと解放された安堵感、単身赴任者は洗濯物の入った大きな鞄を持ち、若者は週末のお楽しみに期待し。そしてそこに射す夕陽…。

あの感じはこのように文章で書いても表現しきれないかもしれない。工業地帯特有の、ものづくり集団特有の、週末の達成感と解放感。それを思い出した瞬間に、身体の芯がキューッとシビレた。そして「あぁ、もう私は、あの感覚を一生味わうことなく死んで行くのか」と思ったら、(不思議な話だが)前述の光ファイバの知識以上に「もったいない!」という気がしたのだ。
地方の工場勤務は衣食住を共にするので、他の業界とは異なる連体感というか、拘束感(?)というか、独特の帰属意識のようなものが生じるのであろう。私は未経験だが、ゼネコンの現場などはもっと強烈なのかもしれない。

地味な作業服を着て、月曜日から金曜日まで油にまみれながら生産設備の間を飛び回って、そして週末に味わう達成感。それがもう一回体感できるならば、クリエイティブな仕事で得る高収入を、自ら放棄してもイイ-これがものづくりに戻ってきた本当の理由。結局「あちら」側の人間ではなかったのかもしれないな。母親の実家も、都内の小さな町工場だったし…。

そんなこんなで製造業に戻り、光のものづくりコンサルタント会社を興して8年が経過。いまは日本中、世界中の工場を飛び回って、あるときは東北や関西で、あるときは米国や韓国で、「週末のあの感じ」を再び味わっている。40代も後半に差しかかり、より一層味わいたくて、「自前の工場」が欲しいとまで考えてもいる。

製造業のみなさん、ごく当たり前だと思っている「あの感じ」。他の業種では味わえませんよ。ご満喫下さい(笑)。

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