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2012年02月

第18回-「大流行」の入れ代わり-その2

「ある技術Xが爆発的に普及する直前に、人はその元になる技術Yを使いまくる。旧技術Yが頂点を迎えると、かなり高い確率でそれに置き換わる-もっとスマートで、もっと高性能な-新技術Xが登場する可能性が高い」の2回目、前回お伝えした「ずっと気になっていたもの」とはアマチュア無線と携帯電話の遷移である。アマチュア無線といえばかつては「キング・オブ・ホビー-趣味の王様」と呼ばれ、小学生から大人まで、非常に人気の高い趣味だったが…。

携帯電話もインターネットもない時代、大人世代にとっては自動車運転中のコミニケーションツールにもなり、また冷戦時代、国際電話料金が高額だった時代に海外と交信出来る貴重なツールでもあった。さらに学生にとっては、自宅玄関に「黒電話」が一台という時代に、自分の部屋にある無線機はまさに夢の入口(?)。

しかしいまのようにケータイが異常なほどに普及し、海外の情報もインターネットで見放題となると、「いまさらハム?!」という気がして来る。その入れ代わりはどうだったのか?

ham-keitai-graph.jpg


◆最初の増加は試験制度の変更か?

なんとも不思議な遷移であった。1985年頃から'95年頃までの約10年間、携帯電話に先行すること3、4年のハム人口急増があった。増加カーブの変化は1980年頃から見られるが、これは年に2回、国が直轄で行っていた国家試験が、財団法人の国家試験センターに移管され、多いときは毎週実施されていたことによる。

◆そしてピークへ

しかし、その次の急峻な上昇は試験制度の変更だけが理由ではないだろう。よく「映画『私をスキーに連れてって』がハム急増のきっかけ」と言われるが、同作品は1987年11月の公開。確かに影響はあったと思うが、ピークに向けての急峻なカーブはその3、4年前からはじまっている。

'88年度末に242,888契約、同年のハム人口の約1/4にすぎなかった携帯(PHS含む)電話はわずか2、3年で急増、オレンジ色の破線付近、1990年にハム人口を抜いている。
面白いのはハムがその後も順調に増え続けたことで、「昭和の趣味」という印象もある日本のアマチュア無線局がピークを迎えたのは1990年代半ば、1994年(平成6年)であった。もっとも同年の携帯電話契約者数は433,1369、ハム人口の3倍以上に膨れ上がっていたが。

つまり1990年代の前半数年はハムと携帯が「共存(共栄?)」していた貴重な時代といえる。日本人の「話したい!」欲が高まりを見せていたのか?さて…?

◆衰退の実状

実は私自身が熱心なハムで、ほぼ30年間のブランクを経て2009年に「再開局」した。開局は中学1年、1978年のことである(グラフ中の変なイラストの頃)。上記の130万局を超えるピーク期は丁度「閉局」していたので、どのような盛り上がりだったのかはうっすらとしかわからない。

「趣味は最近再開したハム」と人に言うと、「えー!ハムなんてまだあるんですか?!」と驚かれるが、実は2011年時点のハム人口約45万局は私が開局した1978年頃(約36万局)よりも多い。グラフ中の青い破線である。

これは実に不思議な気がする。1970年代後半といえば、世代を問わずハムは人気の趣味。雑誌や書籍も多数出版され、無線機・アンテナメーカーも数多く存在し、「ハム市場」は十分に回っていたように思う。ところがいまや雑誌も無線機メーカーも風前のトモシビ…。

これは「増加傾向の45万か、減少傾向の45万か」の違いだろう。買い換え、買い足し需要もあるにはあるが、やはり新規開局あっての「ハム市場」。私の専門分野になるが、情報通信関係の市場調査ではある時点での加入者絶対数ではなく、前年比の「純増数」で市場を考える。右肩下がりになっている市場はパイがあっても現金は動かず、サビシい~空気が漂うものだ。

ちなみに2010年時点ではハム47万に対し携帯1億2300万。実に260倍と比べ物にならない。

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