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2013年05月07日

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第31回-ともかく、語り合って欲しい…

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GWが明けた。新入社員たちは「社会人1カ月目」というところか。いまだ営業実習、販売実習で苦労している者も多いだろう。製造業ならば人里はなれた工場で、製造実習の真っ最中かもしれない。

私は1990年の入社だったので、今年の新入社員は「23年後輩」。しかも私は二浪しているので年齢的には25歳下ということになる。かつての同期はほとんどが課長職になっており、一部は部長待遇の者も出始めたが、さて、そんな25歳(四半世紀!)も年下の新入社員たちとどんなコミュニケーションをとっているのだろうか?

上司とのコミュニケーションというと、忘れようにも忘れられないことがある。果たしてこれをここに書くべきか? とも思うが、もう10年以上前の話なので書いても良いだろう。私もいまや文筆業のはしくれ。色々な意味で、色々な世代に、「このようなことがあった」と知ってほしい出来事でもある。

私が新卒で入った電線メーカーを辞めたのは入社10年半、2000年10月16日のことだった。当時はITバブルの真っ最中で、次に転職したリクルート社からの要求は「翌日17日の朝9時から出社して下さい」。気持ちの切り替えで少々苦労した記憶がある(苦笑)。

入社10年目を過ぎ、残業も100、200時間レベルになると(当時の勤務スタイルはどこもそんな感じだった)不満が溜まる者も多く、あちこちから「辞めてやろうか?」という愚痴が聴こえて来ていた。実際に何人かの同期、先輩、後輩は私よりも先に職場を去って行った。

そんな転職の時に最もやっては行けないのが、上司に対して「次は決まっていませんが、この会社は辞めたいと思います」だろう。慰留されるに決まっているし、転職に対する本気度、真剣度も疑われる。「『辞める』と言ってダダを捏ねているだけなのでは?」と周囲の目も冷たい。
また次の転職先を決めていたとしても、企業規模が小さかったり、打算的な転職先だったりすると、これまた引き留められるだろうし、「この会社じゃ勤まらないヤツだったんだよ」と陰口を叩くヤツも現れるかもしれない。

私はそのどちらも嫌だったので、初めて上司に「辞めたい」と言った時点で、既に転職先であるリクルート-在社中の電線メーカーに負けない規模と知名度である-の正社員採用の内定を取っていた。当時、私は主事(課長補佐)だったので、最初に話したのは課長で、「次はどうする?」と聴かれ、「リクルートから正社員採用の内定を貰っています」と即答した。これでは課長も引き留めにくい。
同時に「毎晩夜中まで残業しているのに、いつの間に転職活動をしていたのか?」とも驚かれた。隠密行動4カ月。わずかな有休、半休と残業時間帯に抜け出して面談を繰り返していたが、時には朝イチで銀座のリクルートに行き、面談が終わると猛スピードでタクシーで丸の内へ、ということもあった。

ではもう100%、何を言われようが電線メーカーを辞めてリクルートに行くつもりだったかというと、実は実はそうとも言い切れず、さらに上司にあたる部長とサシで話をして決めようと思っていた。

当時の職場は派閥の対立が激しく、私(入社以来の光ファイバ・光コネクタ畑)と、部長(経理・会計畑だったがなぜか光ファイバ事業部に)は派閥の両極に位置していた。
後任者の選定や異動と引き継ぎ、その他事務手続きなどを勘案して、「辞めたい」は7月に言い、退社は10月を希望した。その3カ月の間に「今のままの仕事のやり方、考え方で、本当に若手や技術者が着いてくるだろうか? 将来に繋がる良いビジネスモデルが残せるだろうか?」ということを部長と議論して、もし両者の意見が折り合えば、リクルートには悪いが、電線メーカーに残るという選択肢もゼロではなかった。

ところがだ…肝心の部長は出張の連続、たまに事務所にいると思っても「君とはいつか話さなければならないと思ってはいるが、明日からはまた出張なので、今日は終電で…」と帰宅してしまう(私たち部下は深夜にタクシーで帰る)。

なんと7月から10月の3カ月間、それが100日続き、私の退社について部長との話し合いは1分間も行われないまま、設定していた退社日が来てしまった。最初のうちは「どうにかして話し合いを」と考えていたが、1カ月経ち、2カ月経ちしているうちに、「部下の退社、転職に対し、上司が『話をするヒマがない』というような会社ならば、辞めても構わない」と投げやりに考え出した。上に書いた「本当に若手や技術者が着いてくるだろうか」といった、建設的な議論とは真逆の思考である。要するに、あきれ果ててどうでもよくなってしまったのだ。

「いくらなんでも退社数日前とかに、ちょっとくらいは話すだろう」-答えはノー。部長は長期海外出張のため不在。挨拶もせずに、なぜ中途退社するのかをひと言も伝えないままに、そして送別会も「部長欠席のため延期」となり10年半勤めた会社を去った。今だからこのように、ひとつの「経験」として書けるが、退社後の数年間は本当に不愉快に思っていた。そういえば、延期になっている送別会はいつ開催してくれるのだろう?

いまでも「もしあのときに、部長と何回も、何日も真剣に話し合ったら、電線メーカーに残っていたのかもしれない」と思うこともあるが、まさに「歴史に"もしも"はない」。そのような話し合いは一度も持たれず、挨拶すらせずに10年選手が辞めて行く、そのような会社であり、そのような部署だったのだ。

そんな自分の経験を考えると、10歳、20歳、いや30歳離れていようとも、そしてどんなに忙しくとも、上司は部下と話し合う機会を持って欲しいと思う。それでその後の企業人生が変わってしまうこともあるのだ。

ともかく、語り合って欲しい。そのチャンスを与えられなかった私からの願いである。

≪追記≫

この退社にあたっては悪い話ばかりではなく、私のいた部署(事務方の「企画管理部」)の扱いの悪さに憤ったとなりの部署(技術系の「伝送技術部」)の課長さん、課員、女性社員有志が花束を用意してくれて、しかもそれを女子更衣室に隠して、夕方に階段の踊り場で贈られたという隠れたエピソードもあった(元々私は事務屋ながら事務方よりもエンジニアと仲が良かった)。さすがにこと時にはホロっと来た。同じ会社、同じ事業部といっても、さまざまな人がいるのだ…。

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