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2015年05月13日

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第50回-がんばるということ

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東京生まれである。品川区で生まれて幼少期は大田区。その後湘南に移り、ここ20年はまた品川区や渋谷区に住む。どうもこれは土地の風土(?)なのか、「がんばる」ということを表に出したくない性分がある。照れというか、見栄というか…「粋じゃない」のだ。

しかしニンゲン、全くがんばらずに歳を重ねることなど-資産家の跡取りでもない限り-出来るはずがなく、こんな私でも、「割り切って、がんばった」記憶が二回ほどある。そしてその割り切りの瞬間のことを、なぜか鮮明に覚えている。

一回目は大学2年、当時はあまり一般的ではなかった「ダブルスクール」を覚悟して、本格的に英語を勉強しようと思った時だ。大学が終わってから、月曜日は英会話学校に、水曜日はTOEICの専門学校に、その他の曜日は大学の国際センターに。
文科系大学の2、3年と言えば授業数も減り、まさに「遊び盛り」のはずだが、私はそもそも二浪しており、しかも志望校でもなんでもない滑り止めの三流大学だったので、「ここで英語くらいやっておかないと、きっと就職で苦労する。いつかは苦労するならば、余裕のある今のうちに」と、通学途中の山手線の中でフッと割り切った。品川-大崎間、「カツマタデンキ」の横を通過しているときだったことまで鮮明に思えている。

これは私のジンセイにおいて、本当に貴重な「賢明な判断」だったと言える。これから2年間の成果も手伝って、就職は第一志望の大手電線メーカーに。ほとんどの事象を「あとでイイヤ」、「テキトーにやって、あとはサボろう」という習性のある(そもそもそれで二浪した)私が、ほぼ唯一、先を見越して決断、実行したものと言える。あの決断、あの一瞬がなければ今の仕事も、海外との付き合いもなかったかもしれない…。

二回目は電線メーカ入社6、7年目のこと、工場の製造現場、品質保証部が業務に使用するプログラムを自分で作成しようと"がんばった"時だ。
実はこれには前章がある。当時、業務改善の専任チームにいたのだが、「プログラムぐらい、どうにかなるだろう」と経験のない言語にもかかわらず、安請け合いしてしまったのだ。ところがやはり出来ない。迫る納期(本当にヤバくなったら「ごめんなさい」してシステム部に有償で発注しようかと目論んでいた)。

そんな中、他工程に行き参考にある検査用プログラムを見せてもらった。内容は違うが、動作のイメージはまさに私が作ろうとして出来なかったものだった。誰が作ったのかと尋ねると、なんと品質保証が専門の先輩社員。「プログラミングなんて知らなかったけど、本を買って、読みながら組んでみた」。
その一言に"いい意味で"ショクを受け、一念発起した。その先輩は元々専門分野では一目置かれる「デキる」人だったが、それほどの人でも、わからなかったら本を買って、イチから勉強してどうにか自作するのだ。イカン! チョコチョコやって「出来ねぇ~!」とか言ってる場合じゃない。

その見学が金曜日で、その足で本を買って、土日に家のパソコンで試しに組んでみた。初夏だったと思う。ベランダのそば、網戸の前にある自宅のパソコンで、簡単なプログラムを組んで、パタパタと動いた時の感動はまだ覚えている。
プログラムというのは飛行機の操縦に似ており、ある規模のものが出来ると、継ぎ足し継ぎ足しして巨大なものにして行くことが可能なのだ。結構複雑なシステムが納期ギリギリに無事完成。大きなトラブルもなく、それからしばらくの間、私の組んだプログラムで数十人の社員が毎日検査や出荷を行っていた。

一回目も二回目も、要は「割り切り」なのだということを痛感する。そりゃニンゲン、遊びたい、食べたい、呑みたい、眠りたいしサボリたい。しかし、「いや、ここは手を抜かずに、集中して、ひとがんばり」と割り切れるかどうか。

しかし、それこそ小学校前の「お受験」の頃から、絶えずそういう判断をして、エリートコースを歩んでいるヒトもいるんだよなぁ。デキねぇナァ~! 俺には出来ない!(と思いつつもう50歳…)

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