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第38回-キャッチアップ

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まずはいくつかのエピソードから-

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丸の内のオフィスを飛び出して3年半後、念願の「自分の会社」のオフィス開設。会社のスタイルにこだわりがあったので、立派なデスクを購入し、「島」型、指定席制のかつての在籍会社に倣ったレイアウトに。しかし来社した後輩から、「ウチの会社、島も指定席も止めましたよ。いまはフリーアドレスです」。

「脱サラのコンサルタントというと場合によってはウサン臭い目で見られるから、服装だけはキッチリと。真夏でもスーツ必須、ネクタイ必須。ウチの会社はクールビズもカジュアル・フライデーもナシ」としていたが、震災以降の節電の影響から、コンサルタント先の大企業がこぞってノーネクタイのクールビズを推進。逆に浮いた格好に。

「クールビズでノーネクタイがOKといってもそれは夏期の話。10月1日以降はネクタイ着用」と考え、10月初旬の会議にネクタイをして行ったが、取引先が「温暖化の影響なのか秋になっても暑いので、10月末日までノーネクタイがOKになりました」。再び浮いた格好に。

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-ご想像の通り、いずれも弊社社長、というか私の経験談なのだが、この通りビジネス・スタイルに関する慣習など1、2年単位でいくらでも変わって来る。

スタイルだけではない。例えば私が事務所を構えた11年前はインターネット上のバーチャル企業ではなく、都内の良い場所にしっかりとした事務所を、しかもそれなりの体裁で構えていることがステータスでもあり、少なからず信用とも結びついていた。しかしいまそれをやりすぎると(もちろん程度の問題はあるが)、「このご時世に経費の圧縮を考えていない、経営努力の足りない会社」と思われかねない。

スタイル、経費と同様に、事業内容そのものも、いまや2、3年経てば陳腐化しているものもある。例えば弊社でも、かつては年間売上の「屋台骨」になっていたような事業のいくつかが、取引先の事業撤退や縮小、さらには市場から「そのようなアクションが消滅した」という強烈な理由から影も形もなくなっている。

困ったことに会社を10年以上続けていると、経営者も10歳以上年齢を重ねることになり(あたりまえだが)、こうした世間の変化に気づきにくくなって来る。このあたりは「誰と、どの世代と付き合うか」というまた別なテーマになるのだが、それは次回以降で。

第37回-チューニング

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「仕事が乗る、乗らない」ということは誰にでもあるだろう。私の場合は光工学分野での新規市場開発の提案書を書くとか、音楽・映画関係の文章を書くという仕事なので、「乗る、乗らない」は極めて切実。真っ白なキャンバスに絵を描くのと同じで、乗ればすいすいと手が動くし、乗らないといつまで経っても真っ白のままである。

当然乗らない状況もある。考えてみるといまひとつその世界に入り込めていないというか、アタマがそちらに切り替わっていないように思える。イメージ的にはラジオや無線機の「チューニング」の概念に近い。

さらにちょっとマニアックな事を書くと、チューニング=同調回路というよりも、「共振回路」と言った方が良いかもしれない。自分の中にその作業に対するナニカをわずかに発振させて、作業と共振させる。うまく周波数が合うと、一気に信号が増幅されて大きなアウトプットになる。そんな気もする。

最も理想的なのは朝起きたときからアタマの中で今日処理しなければならない作業を思い出し、その解決案がふわふわと浮かび、朝の通勤電車の中ですでにメールの文章や、作成資料のイメージが出来上がっている…これは極めて理想的、いや、理想的すぎる状態だろう。

たまにはそんなこともあるが、実際はそんなにはスムーズに行かないので、新聞を読んだり、日経産業新聞で工業系のニュースを熟読したりして、アタマと身体を次第に”そちらのほう”に近づけて行く。それが「チューニング作業」である。

私は単純なのか新聞や業界誌を眺めているうちにふわっとそちらの世界に入り込んで、なんとなく手が動き始める。音楽・映画関係の文章も然り、関連資料を読んだり、観たり、聴いたりしているうちに、その世界の中を旅するような状態になり、ぽつぽつと文章が浮かんで来る。

もちろん最初から完成形がアウトプットされるわけではなく、真っ先に浮かぶのはぼんやりとしたイメージだったりする。文章ならばキーワードやワンフレーズだけ、資料ならば表や図の雰囲気だけ。
それでも浮かべば十分だと考えている。それをくしゃくしゃとノートに書き、それを見ながらパソコンのキーを叩き、少々時間がかかることもあるが、しばらくすると一応の完成形になっている。

最も惜しいのは寝る前、起きた直後に閃いていたキーワードが、目が冴えると消えていること。実は今がその状態で、この文章の起承転結もいまひとつ引き締まらないものになってしまった(苦笑)。しかも映画関係の文章用に、殺し文句までも浮かんでいたのに…。

第36回-起業人の切迫感

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民主党が悪かったのか、アベノミクスとやらのせいなのか、景気が悪いことこの上ない。とはいうものの、会社は一応の年間売上はあり、売上規模を聞いたサラリーマンからは「我々の年収よりも全然多いじゃないですか。羨ましい」と言われる。ところがこれは大きな勘違いだ。

仮に月の売上が100万円、年間売上が1200万円の「会社」があったとする。その会社は事務所を借りており、インフラもひと通り揃っているとする。自営業で従業員登録は社長1名のみ。バイトも雇いたいが、以下の状況ではバイト代は出ないだろう。
1200万円と言えば、上場企業でも決して悪くない年収だが、さて、年間売上が1200万円の「会社」の実態は?

月単位で計算してみる。まず事務所家賃に最低でも15万前後、もうこれで85万しか残っていない。次に光熱費と通信費。サラリーマンは全く意識したことがないであろう事務所の電気代やガス・水道代、電話代や携帯電話代ネット使用料なども「月100万」から支払う。これを3~4万円とすると残りは81万円。もう20%くらいが消えている。

交通費も自腹…というか、経費から支払われる。自宅から事務所ならばまだマシで、新幹線や飛行機を使った国内出張、宿泊費、タクシー代なども「月100万」から支払う(急な海外出張などかなり難しい)。これはまぁ、ざっくり5、6万円。残りは75万円になった。

どこかのタイミングで銀行の融資などを受けていると、その返済もある。これは月額では5~10万円くらいが相場だろうか。仮に8万円とすると残りは63万円。ここで40%が消えている。

色々な経費、雑費もある。どんな小さな会社でも、世間並みにお得意様を接待することもあるだろう。サラリーマンならば枠一杯に使ってやろうと思う「交際費」も、起業人にとっては大切な虎の子である。その他雑費の類。プリンター用紙も、交換用トナーも、トイレットペーパーも売上から支払う。たぶんここまでで残りは50万円代に突入している筈である。最初は100万円もあったのに…。

仮に残り50万円としても、12倍すれば年収600万円? とんでもない。まだまだ大きな伏兵が潜んでいる。税金、保険、年金と「退職金積立」だ。
税金は法人税もあれば地方税もあれば消費税もあれば源泉所得税もある。月額に割れば最低でも4、5万にはなるだろうか。健康保険と厚生年金も一部は会社が払う。これが実に月額で3、4万円にもなる。

退職金積立は盲点で、30代、40代のベンチャー起業家が「月収手取り50万」などとイイ気になっていると、60代に痛い目に遭う。手取り月収×12カ月で「昔の会社のヤツラよりも多い」などと考えるのはトンデモない勘違いで、「昔の会社のヤツラ」は定年退職時に一時金を貰う。それを含めて「生涯所得」なのだ。老後の人生設計はそこで決まる。これは民間の生命保険会社が「自営業者向け退職金積立保険」などをやっているので、毎月ここに数万円支払うことになるだろう。

ここまで来るともう残りは40万円くらいだ。ではその40万円を月収として貰えば満足か? この先がまだある。仮に40万円を-会社に現金をプールすることなく-そっくり給与として支払っても、個人の所得40万円から個人の住民税(均等割+所得税)を支払う。社会保険の個人負担分も支払う。モロモロざっくり月額3万としよう。

それでも手取りで30万円代あるではないか? 何かを忘れていないだろうか? この計算「月の売上が100万円、年間売上が1200万円」からスタートしており、ボーナスが加味されていない。先程の退職金と同じで、月額35万円×12カ月の”見た目”はサラリーマン並みに見えるかもしれないが、年収で考えるとボーナスの分、数十万から100万円以上が欠けているのである。

結論として「月の売上が100万円、年間売上が1200万円」ならば多分手取りは30万円前後でボーナスはなし。同年代のサラリーマンに比べ、ちょっと劣るくらい…が限界ではないだろうか。「年間売上1200万円」と「年収1200万円」はこんなに異なるのである。

一般に「自営業は、サラリーマンの3倍稼いで年収でトントン」と言われる。私も「3倍でトントン? もっと貰えるだろう!」と考えていたが、いや、会社というのは羽の生えたように現金が飛んで行く。

サラリーマンから見れば「そんなに稼いでいるのに何で浮かない顔をしているのか? 儲かっているのを隠しているのではないか?」と思えるかもしれないが…かなりの長文になってしまった起業人の切迫感。ご理解頂きたいところである。

逆に言うと、起業をして、ある生活レベルをキープしたいと考えるならば、これくらい引かれることを覚悟し、かなりの売上金額を狙わないとオハナシにならないということだ。「今の手取りが40万くらいだから、まぁ、毎月30~40万売り上げれば…」など何をかいわんやである(ウソのようだが本当にこう考えている人、こう言う人は少なくない)。起業は本当に厳しいのだ。

第29回-「取り戻す日本」はどんな国?

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政権が交代し、経済復興の掛け声が賑やかである。政治・経済政策以外でも「古き良き昭和」、「日本が元気だった頃」が一種のマーケティング素材として使用され、あたかも「本当の日本は順調な経済成長が永年にわたって続く、素晴らしい国であった」ような印象を受ける。

本当にそうだろうか?

平成も25年にもなると、昭和はもはやちょっとした「近代史」の領域に入り、「そういえば景気が良かったような気がする」というボンヤリとした記憶に流されてしまうかもしれないが、内閣府データによるこのグラフを見ると戦後経済の遷移は明確である。

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経済政策や計量手法など、色々な見方があるだろうが、私は経営コンサルタント兼日本映画史研究家なので、それぞれの時代の出来事が気になる。

グラフの開始前に1950年の朝鮮特需がある。1950年(昭和25年)6月米軍在日兵站司令部設立、まず戦地で使用される繊維製品、鋼管類が納入され「糸ヘン景気」「金ヘン景気」に。'52年に兵器生産許可の覚書が交わされて本格化する。
この時期はグラフには含まれていないが、グラフの先頭を飾るのが'54年(昭和29年)12月から'57年(昭和32年)6月までとされる「神武景気」である。直前の朝鮮特需で国内経済が拡大、その影響による内需拡大という一種の「玉突き」と考えられる。三種の神器(冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビ)の出現はまさに内需拡大の象徴。「もはや戦後ではない」と記されたのが'56年(昭和31年)の経済白書である。

その後、若干の反動もあったが岩戸景気('58年7月~'61年12月)、オリンピック景気('62年11月~'64年10月)、いざなぎ景気('65年11月~'70年7月)と「高度成長期」が続く。無責任シリーズほかクレイジーキャッツ映画('62年7月~'71年12月)や、森繁久弥の社長シリーズ('56年1月~'70年2月)が数々のサラリーマン喜劇を送り出し、経済成長が幸せなコメディのモチーフになっていたのがこの時期である(この時期、父親が米国製一般消費財の日本への紹介や大阪万博のスタッフを仕事としていたため、'65年生まれの私はともかく景気がいい記憶しかない)。
ちなみに散々引合に出される『三丁目の夕日』シリーズ3作は順に'58年、'59年、'64年が舞台なので岩戸景気からオリンピック景気の東京を描いた作品といえる。

'70年代初頭、'72年6月に総裁選直前の田中角栄が発表した政策綱領「日本列島改造論」に起因する経済成長もあったが、ご覧の通り'73~'74年に急落。日本はほぼ20年振りの不況に直面する。'73年10月の第四次中東戦争勃発が引き金となった第1次石油危機、いわゆるオイルショックである(外資系石油会社の広報の仕事をしていた父親及び定成家は、この時に大打撃を受けている)。

ご覧の通り、'73年から'90年までは明らかに異なるステージに入っている。'91~'93年の急落は言わずと知れた土地・金融バブルの崩壊。2000年のITバブル翌年に同時多発テロで再度急落、'02年2月から'08年2月までは「第14循環」、「いざなみ景気」と言われる復興期が続くが'08年9月のリーマンショックで大打撃を受け現在に至っている。
父親は隠居したが、今度は私が直接影響を受ける番だ。'90年に社会人となり'02年に独立・起業。'06、'07年など実に景気が良かった。そして'08年以降は苦労の連続である…。

さて、このような遷移に対し、「日本が元気だった頃」とはいつのことを指すのだろう。土地・金融バブル、ITバブルはあったが、'73年以降は期間平均は低下の一途。戦後の成長期は実は'50年から'73年の23年間しかなく、逆に今年2013年を起点として逆算すると、土地・金融バブル以降がまさに同じ23年間、オイルショック以降はなんと40年間にもなる。
気になるのはこの絶対的な期間だ。ここまで不況が続くと、「もう日本というのは"景気の悪い国"なのではないか。少なくとも"元気だった"云々は半世紀も前の話で、それを引き合いに議論するのは一種の幻影なのではないか」という気がする。世代の差も大きいだろう。高度成長期を知らないオイルショック生まれがもう40歳になるのだ。

私自身は経営コンサルタントと音楽・映画ライターの兼業なので、毎日のように"あの頃"のずいぶん景気の良い日本映画を観ているが、「これは大昔の、ごく一時期のことだったのではないか?」という冷めた見方もしてしまう…。

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